【マジコン】違法コピーソフトと任天堂の歴史

■ 任天堂系ソフトの違法コピーの歴史

マジコンとは、「ゲームソフトのデータを不正にコピー・保存・起動できる装置(=マジックコンピュータ)」の通称です。主にフロッピーディスクやSDカードにゲームのROMデータを入れて、正規ソフトなしで遊べるようにする違法機器として広く知られています。

マジコンは、正式な対価を支払わずにゲームをプレイする“割れ行為”を助長することで、任天堂をはじめとするゲーム業界に甚大な損害をもたらしました。

1980年代:ファミコン時代

  • 違法コピー元年:1982年、スペースインベーダーの無断複製により著作権侵害の判例が確立。(スペース・インベーダー・パートII事件

  • ファミコンソフトダビング機:ファミリーエースなどファミコンソフトのコピー機が登場。

1986〜1989:ディスクシステム時代

  • ディスクシステムコピー機の登場:「ディスクハッカー」などディスクのコピー機が出回る。

1990年代前半:スーパーファミコン時代

  • スーパーファミコンコピー機登場:1992年、台湾のFront Far East社が「スーパー・マジコン」を発売。以後「スーパーUFO」や「サイクロン」「スーパーコム」「覇王」など数々の機器が登場。

1996〜1999:NINTENDO64とV64事件

  • Doctor V64登場:N64用のマジコン。コピーだけでなく開発ツールとしても利用され人気を博す。

  • 任天堂の反撃:1997年、V64販売元をアメリカで提訴。1998年にアメリカで制定された「デジタルミレニアム著作権法」により任天堂が勝訴。2002年にはV64製造元が解散に追い込まれる。

■ 2000年代:マジコンの再来

2004〜2009:Nintendo DSの登場と爆発的な被害

  • DSの大ヒット:2004年発売、累計1.5億台突破。ゲーム人口の拡大に比例してマジコンも復活。

  • 要因①:ピアツーピア(P2P)技術の発展(WinMX、Winny、BitTorrentなど)

  • 要因②:マジコンの簡素化(例:R4 Revolution)

    • microSDにROMを入れるだけで動作、改造不要。

    • 価格も¥3,000〜¥4,000と安価。

  • 社会問題化:児童やリテラシーの低い大人にも普及。

任天堂の対策

  • 2008年:任天堂+54社がR4販売業者を提訴、2009年に勝訴。

  • 問題点:民事訴訟に留まり、別の業者が販売再開。

  • 2010年:東京大学の調査により「被害総額2兆円」との推定結果が出る。

  • 2011年12月:不正競争防止法が改正。マジコン製造販売に対して刑事罰(懲役5年 or 罰金500万円)を規定。

■ 終焉とその後

  • 技術的対策:コピー防止の技術、オンライン認証、DLCなどによりマジコン対策が強化。

  • ビジネスモデルの変化:基本無料+課金型(F2P)ゲームの普及によりマジコンの需要が低下。

  • 2024年時点:マジコンはほぼ姿を消す。

▼マジコンの原点:1980年代 ファミコン時代の「ダビング機」

マジコンの歴史は、1980年代初頭のファミコン時代にさかのぼります。

当時、ソフトをコピーする「ダビング機」と呼ばれる装置が登場。「ファミリーエース」などで、本物のカセットと空のROMカセットをセットし、ゲームを複製するものでした。

この時代はまだインターネットがなく、ソフトのコピーには実物のカセットを借りる必要があり、コピー先の生ROMも安価ではなかったため、マジコンの利用はごく一部のマニアに限られました。
噂で聞いた事がある程度の人が多かったのではと思います。

▼次なる標的:ファミコンディスクシステムとスーファミ時代の広がり

1986年、任天堂は書き換え可能な「ディスクシステム」を発売。これもすぐにコピーされ、I2社の「ディスクハッカー」などのコピー用ツールが登場。

しかし、ディスクシステムの普及率が低く、またすぐにROMカセットの技術進化に追い抜かれたため、大きな問題にはなりませんでした。
こちらも一部のマニアに限られ噂で聞いた事がある程度の人が多かったのではと思います。

▼戦国時代突入:1990年代 香港・台湾の“マジコンバブル”

状況が変わったのは1990年のスーパーファミコン発売以降。香港や台湾でマジコンを大量生産・販売し、コピーソフト市場が急成長します。

香港のBung社は有名だったと思います。

  • 「ゲームドクター」などの機種ではチート機能リプレイ機能まで搭載

  • 秋葉原や池袋でも、こっそり販売されるようになる。

▼任天堂の反撃:1997年「V64訴訟」

大きな転換点となったのは、1997年に任天堂がアメリカで提起した「V64訴訟」です。香港のBung社が開発した「ドクターV64」と言うマジコンがターゲットとなりました。

1998年の制定の「デジタルミレニアム著作権法(DMCA)」では、コピーガードを回避する機器の製造・販売が明確に違法と言う判断になり勝訴する事が出来ました。
Bung社は世界中で訴訟され2002年に解散、任天堂は法的に大きな勝利を収めました。

▼最大の脅威:DS時代の「R4」マジコンの登場(2007年)

2004年、任天堂DSが発売されると空前の大ヒットに。それを狙って登場したのが、**「R4 Revolution for DS」**です。

R4の特徴は以下の通り:

  • DS本体にそのまま挿して使用可能

  • microSDにゲームROMを入れるだけで起動できる

  • ゲーム1本より安い(約3000円〜4000円)

誰でも簡単に使えるため、未成年の子どもたちにも広く普及し、被害は過去最大級に拡大しました。


▼なぜ止められなかったのか?法の抜け穴と社会問題

任天堂は2008年にR4の販売業者を提訴し、2009年に民事勝訴。しかし、民事裁判では他の業者がすぐに代替販売できるため、抜本的な解決には至りませんでした。

決定打となったのは、2010年の東京大学による調査報告でした。

日本国内だけでも6年間で約300億円、世界全体では1兆円以上の損害!

この結果を受け、2011年に不正競争防止法が改正され、マジコンの製造・販売には最大懲役5年 or 500万円の罰金という刑事罰が初めて導入されました。


▼そして終焉へ:現代ではほぼ姿を消したマジコン

その後、ゲーム業界では

  • オンライン認証やプロテクトの強化

  • 基本無料(F2P)型ゲームの増加

  • 海外でも刑事罰の導入

といった動きが相次ぎ、2024年現在ではマジコンはほとんど見かけなくなりました


▼まとめ:マジコンとゲーム業界の28年にわたる攻防

時期 主な出来事
1980年代 ダビング機(ファミコン用)の登場
1990年代 香港・台湾でスーファミ用マジコンが拡大
1997年 任天堂がV64訴訟を起こす(アメリカ)
1998年 DMCA制定で違法化へ
2007年 R4登場でDS時代にマジコン再燃
2011年 日本で刑事罰が導入され、終焉へ